張居正講評「論語」(3)

 原文  人不知而不愠、不亦君子乎。

 今釈  他の人が分かってくれなくても何も恨むようなことはない。君子でないことがあろうか!

 張居正講評  愠は怒るという意味。君子は徳を完成した人。そもそも人に善を及ぼすことはもともと楽しいことだが、もしも人がそのことを知らないせいで、すぐに楽しくなくなるとしたら、それは名声に近づきたいという欠点がまだあり、その徳は完成にはほど遠く、君子とは言えない。まだ名声が顕れず人が自分のことを知らなくとも、泰然として全く不満も怒りもない。これはその心が自己だけを見ており、人が知ることを求めず、その学は本当に内にあり、外に知られることを望まず、見識は広大で、志も高く、けだし本物の徳の完成した人と言えよう。だから君子でないことがあろうか、と言うのだ。そもそも学とは、悦(説)の段階から楽の段階に進み、最後は君子になるという段階に至る。世にも稀な賢者、聖人になれば、それで学の段階が終わるのだ。 

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