一作年、試剣石(十字文石)を見るために行った鎮江の甘露寺で、阿倍仲麻呂の碑を発見した。そういえば高校の世界史の授業で遣唐使というのを習ったのを思い出した。仲麻呂も19歳で遣唐使として中国に来ていたのだ。
調べてみると、仲麻呂は中国名を晁衡と言ったらしい。晁衡は李白の詩が好きで、よく李白から教えを受けたとある。日本人でありながら超難関の科挙に合格し、その才能を惜しんだ当時の皇帝、玄宗がなかなか仲麻呂の帰国を許さなかったという。753年、日本に帰る晁衡を李白が見送った。しばらくして晁衡の乗った船が沈んだという情報を李白が入手。泣く李白。その晩、晁衡と過ごした日々を思い詩を詠う
日本晁卿辞帝都
征帆一片绕蓬壺
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧
日本の友人、晁衡(阿倍仲麻呂)が都を離れ
船が仙人の住むという蓬莱島(注)を巡る
明るい月も悲しんで大海に沈み
白雲と蒼梧山もこの私の友人のために悲しんでいる
住む時代は異なるが、同じ日本人への李白の想いの深さを知った時、前より李白が好きになった。
実際には仲麻呂は死んでおらず安南(ベトナム)に漂着し、再び唐に戻り日本に帰ることなく72歳で亡くなる。
注:昔の中国人は日本を仙人の住む蓬莱島と思っていたらしい。秦の始皇帝が徐福に命じ、当時の日本に行き、不死の仙薬を求めさせた話は有名。徐福は和歌山県辺りに漂着したという伝説がある。鎮江は江蘇省南西部の都市。対岸の楊州と並び、江南地方の貨物の集散地として繁栄。近年工業が盛ん。人口は52万5千人(1995)。
写真の碑には唐で仲麻呂が詠んだ詩があった
天の原、ふりさけ見れば春日なるみかさの山にいでし月かも
大空をふりあおいで見ると月が出ている。あの月は昔、奈良の三笠山から出た同じ月かもしれないなあ
翘首望東天神馳奈良
三笠山頂上想又皎月圓
こんにちわ~お久しぶりです
最近ここにアクセスしたときに日本語が出ないことが多くて
コメントしなくてすごすご帰る日々でしたw
IMEのいたずらでしょうか・・・(;´▽`)
でも時々来て楽しませてもらってました
今日の日記から・・・
そういえば遣唐使って習ったなぁ~(´-`).。o0
一人外国で苦労したんだろうなと想像してたので
死を悼んでくれる人がいてよかったわ~って思います
それで思い出したのですが
水戸黄門が外国から先生を招いて懇意にしていたというエピソード
彼が晩年すごした西山荘と徳川家代々の墓所などを
見学したときに聞いたことですが
心温まるものを感じました
私も李白が好きになりました
songoさんと違ってほとんど予備知識ないですけどね~^^;
心のふれあいっていつの時代も結局は人柄が大事!ですよね
こんにちはー。コメントありがとうです。
見て帰るだけでもいいですよ。僕のブログは特殊なんでコメント書きにくいだろうなと思います^^
水戸黄門が外国人を招いていたとは驚きですね。そういえば今でもまだドラマはやってるんでしょうか。僕が日本にいた頃は確か3代目水戸黄門だったような気がします。
そうですね。気持ちがあれば大概のことはうまくいくものですよね。
早レスありがとうです~
水戸黄門はね~4代目?
里見幸太郎って人がやってるんじゃないかな
初代黄門のときに助さんだか角さんだかやってた人
ところで「天の原・・・」が唐で書かれたって知りませんでした~
あたしだけかもしれない><授業聞いてない~勉強不足
異国の地でって思うと感慨深い歌ですよね
早レスへの早レスありがと^^
そうでしたか。里見さんでしたか。ってそれほど知りませんが。。
天の原はじつは僕も知りませんでした。ネットで調べました^^ただ高校時代に習ったような気がしますね。学校で習うものなんて半分以上、生活する上で必要じゃないようだね。本当に必要なものは自分で学んで初めて身に付くような気がする今日この頃ですな。